マナー講師になった縁

おきゃんな子どもだった私が、マナー講師をしている。

当時を知る身内や幼なじみは、「信じられない」といった様子です。

なにより、私自身がいちばん驚いています。

ところが、これまでの人生を振り返ると、「もしかしたら予定通り?」と感じるところもあるのです。

マナーの基礎は家庭で

「礼儀作法」というかたちで、マナーの基礎を教えてくれたのは両親でした。

父は、非常に厳格で、身だしなみ、姿勢、立ち居振る舞いなど、「女の子としての在り方」を躾けてくれました。

口癖は、「ピシッとしろ!」「だらしない!」です。

そして、できた時には、「偉いね」と褒めてくれました。

その優しい一言が嬉しくて、頑張れたように思います。

父から受けた修行のような躾は、その後において、さまざまな恩恵をもたらしてくれました。

幸い(?)母は、父とは反対に穏やか。

他人との関わりにおいて、「感謝すること」「思いやること」の大切さを、身を以て教えてくれました。

子どもは、親の背中を見て育ちます。

私にとって、母は「マナーの生き証人」

母の言動に、自然と薫化されていきました。

「なぜ」「どうして」に答える

母に感謝したいのは、「なぜそれをするのか」まで、教えてくれたことです。

「大事だから」「皆がやっているから」ではなく、それによって、相手がどんな気持ちになり、自分がどう成長できるのか、詳しく説明してくれました。

マナーの指導において、私は、「なぜ」「どうして」を大切にする方です。

特に、未成年者には、単なる「方法」としてではなく、そこに込められた「意味(心)」まで添えるようにしています。

もちろん、身体を使っての「実践」も、同じくらい大切なことですね。

家庭のなかで、礼儀作法を躾ける習慣が、希薄になっていると言われる昨今。

だからこそ、ご縁のあった方には、根っこまで伝えたいと思うのかもしれません。

根を知れば、相手や状況に応じて、枝葉を柔軟に変えることができる

未来に向けた「種まき」という意味でも、マナーの背景を知っていただきたいと思うのです。

敬語は小学校の恩師から

マナー講師への道は、必然だったかもしれないと感じる、もう一つ理由。

それは、小学校5.6年の担任との出逢いです。

50代の女性で、専門は国語。

誤った言葉遣いには、とても敏感な先生でした。

進級してすぐ、クラス全員に敬語の指導がスタートします。

小学生ですから、尊敬語・謙譲語というカテゴリーなど、当然ながら知りません。

けれど、毎日の習慣で、「先生がおっしゃった」「母が申しました」など、目上を敬い、身内をへりくだる使い分けは、難なく出来るようになっていました。

基本動詞の変換も、小学生のうちに習得し、以降、敬語で困ったことはほとんどありません。

言語の学習は、早いほどよいと言われますが、敬語も同じかもしれませんね。

マナー指導の中で、私が得意なのは「言葉遣い」です。

おそらく、この経験が影響しているのでしょう。

講師を務めるようになってから、恩師に対する感謝の念は、一層強くなりました。

最後に・・・

こちらに書きましたとおり、マナー講師になった「直接のきっかけ」は、前職の秘書経験です。

上司曰く、「秘書に選んだ理由は、マナーに安心できたから」。

その礎を築いてくれたのは、両親であり、小学校の恩師です。

私の気質を考えれば、マナー講師など、おそらく最も縁遠い仕事でしょう(笑)

その仕事を、こうして長く続けられている。

合っているというより、環境によって、可能性が開かれたという表現がふさわしい気がします。

人生は、自由意思によって、自ら創り上げるもの。

ですが、ある程度の方向性は、決まっているのかもしれませんね。

真実はわかりませんが、この道に進めたことを、今はただ幸せに思っています。